このコーナーの記事を書き始めて、私はある一つのことに気付いた。それは、モーツァルト(1756年1月27日-1791年12月5日没)自身が実際に奏でていた音(音楽)を聴いたことのある現代人は一人もいないということです。あまりにも当たり前の話ですが、これはとても重要なテーマです。少なくても美術品は、時間と共に劣化はあるにせよ、作者自身の作った(残っている)作品は現代でも鑑賞することが出来る。しかも美術品はそのものである。
音は録音によって残せるが、それは実際の生の音ではなく、あくまでも記録された疑似音でしかない。エジソンの発明は現代の文化を発展させた偉大なる発明であることには全く異論を唱えるものではないが、音の質感、空気感、次元や空間における広がり等、録音された(電気的な)音は実際の音とは違うものである。録音は聴く人の想像という感性に委ねられて大きな価値が生まれてくる。音は時間の中にあり、時間と共に消える。
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作曲家の楽譜は、未来に残した「音のレシピ」とも言える。楽譜という文献だけでは音楽は成り立たない。「作曲」と「奏でる人」と「聴衆」がいて初めて成り立つ極めて特殊な芸術です。
音楽は、その時、その場にいることによって出てくるものがあります。その作品の時代のエネルギーや次元、場のエネルギーなどがあります。それらを感知し体現するには直感が最も重要であると識者も語っております。そして直観とは神に直結しなければ得ることのできない能力でもあります。音楽を奏する側の心の在り方がそのまま音楽に表現され、演奏者の生き方そのものまでが問われる時代になりました。
モーツァルトの通称アマデウスとは、ラテン語で「神に愛された」という意味に通じる言葉です。250年前に神の使者を名乗った音楽家との時間を越えたシンクロニシティーコラボレーションは、最先端テクノロジーであるグラビトンによって可能になったことを多くの方々にお伝えしていきたいと思っています。 |