音は一体何処から来るのだろう?
・・・・・こんなエピソードがある。・・・・・・
★20世紀の偉大なるヴァイオリニスト・ハイフェッツのお話し、彼の生涯愛用したヴァイオリンはかの有名な名器ガルネリである。ある日、彼の素晴らしいコンサートを聴いた友人が彼に(ついうっかりと)尋ねた「素晴らしい音のする楽器だね」・・・・・ハイフェッツは「そうか、どれどれ」と言って、テーブルに置いてある彼愛用のヴァイオリンに耳を近づけ「僕には、何にも聴こえないよ」と答えた・・・・・
楽器は人によって奏でられて初めてこの世に、それも限られた時間だけ現れる。常に人の行為がなければ存在しない。
今から29年前、神戸ポートアイランド博覧会が開催されていた頃、私は演奏のために神戸に訪れており、偶然にもパイオニアのM会長にホテルでお会いすることができた。その時、昼食をしながらお話して下さったことを今でも覚えている。私はM会長のお孫さんにフルートの手ほどきをしたご縁で存じ上げていたことだけではなく、実は日本ニューフィルハーモニック管弦楽団の設立で大変お世話になった方でもあります。
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当時は、シンセサイザーといっても単音しか出せず、コンピュータで音源を一音一音重ねて音楽を作っていたという気の遠くなるような時代でした。ホテルで食事しながら、M会長は「U君、今人間があっと驚くような音で、それも同時に重音(ハーモニー)がでるシンセサイザーを開発している。これからは、あらゆるメディアがコンピュータ音楽になるだろう」とお話しされた。
私はすかさず「それでは未来は私たちのような音楽家は必要で無くなり、音楽家にとって受難の時代がやってくることになる。それはとても困ります」・・・・・M会長「いやいや、それでも最後に残るのは人が奏でた音だから心配することはないよ・・・ハハハ」と何か狐につまされた様な話しをされたことを思い出します。
現実は本当にM会長の言った通りになった。
コンピュータ音楽だけでは無い、何処でも見られるイヤフォンを耳にして通勤・通学時に聴いている音=疑似音(目に見えないネガティブな情報構造が入り込み易い)に、人間の本来持っている正しい感性までが失われていくのではという危機感を感じる。
売れるから開発する時代から、何が本当に人々ために良いのか、私たちは本物の時代から安心の時代に変えていかなけえばならないと思う。
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